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内成とは概要

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内成棚田  天平12年(740年)頃までに成立したとされる「豊後国風土記」において大分郡(おおきたのこほり)笠和郷(かさわごう)に含まれていました。 豊後國弘安図田帳に「内梨畑」と記述があり「内成」の語源とされています。
鎌倉時代は北条家の得宗領でしたが、足利 義満(室町時代)により大友一族に返還され、かつては高崎山の銭亀峠から湯布院を結ぶ要衝の地でした。
宇佐八幡神の化身といわれる仁聞が本尊を作り建立したという七仏寺(山神社六社と正八幡宮)がありましたが、菊池氏との戦いや、天正の役などで炎上したと伝えられます。
豊後国郷帳(1647年)によると内成の石高は338石(845俵)ありました。
 また橋本五郎左衛門はイグサを求めて琉球国・七島に渡り苗を持ち帰り、苦心の末内成で栽培に成功。それが豊後表(七島イグサ)として府内一円の主要産業となりました。
大友宗麟の茶室があり、お茶、棚田米を楽しんだ・・・とも言い伝えがあります。

別府市の南端に位置し由布市と隣接する、総戸数約87 戸、人口160人弱、9集落より形成された地区です。
大神峰神社・蓮台寺・石城寺などの文化財も数多くあり、大神峰神社のイチイガシは市の保護樹に指定され、勢場にある大イチョウは樹齢1300年といわれており、幹回りは9.6mもあり大分県指定特別保護樹木に指定されています。
地域の飲料水は石城寺の下にある湧水で、仁聞菩薩が杖で岩を砕いて湧出したと云われています。 また、地域には石城寺の七不思議など様々な言い伝えが残っています。
明治時代には石城川村として、稲作を中心とした生活圏を形成していましたが、昭和31年に挾間町より離れ、別府市と合併しました。
約42ヘクタールの水田がありますが、中山間地域のため一枚の田の面積は3畝(300㎡)程度と狭く、千枚棚田と呼ばれています。(耕作放棄含め1300枚以上確認済)

内成には棚田の絶景ポイントが存在しております。
内成の棚田が一望できる「月見石」、標高が高く階段状の棚田景観を見渡すことができる「太郎丸」、棚田を下から見あげる「下畑(しもばた)」の3箇所が絶景ポイントとなっております。

令和4年2月14日(月曜日)に開催した外部有識者から構成されるつなぐ棚田遺産選定委員会(第2回)において271の棚田が「つなぐ棚田遺産~ふるさとの誇りを未来へ~」として選定されました。
大分県においては、6市町10棚田が選定されました
別府市、内成棚田、天間棚田、堂面棚田、東山の棚田群、大所棚田
日田市、月出山棚田
豊後高田市、田染荘 小崎の棚田
宇佐市、両合棚田
国東市、密乗院の棚田
玖珠町、山浦早水